Welcome to the desert of the real.

visible, audible, tangible and simulacre....

消費社会とイメージの関係 (3)

・・・しかしデパートだけでなく、商品のあふれそうな輝くショーウィンドウや肉類の陳列棚のある全ての通り、そこで繰り広げられる食料品や衣類のお祭り騒ぎは魔法のように唾液腺を刺激する。こうしたモノの累積には生産物の総和以上の何か----明白な過剰、希少性の魔術的かつ決定的な拒否、母性的でぜいたくな夢の国の予兆が存在する。<<引用「消費社会の神話と構造 」P16>>

豊かさの最も基本的な、だが最も意味ありげな形態である山と積まれた商品の段階を超えて、モノはパノプリ(パッケージ)やコレクションに組織される。ほとんどすべての衣料品店と家庭電化製品の販売店は、互いに求めあい応答しあう、ほんの少しだけ異なったモノのシリーズを提供している。<<引用「消費社会の神話と構造 」P17>>

 相手として組み合わされる他のモノとまったく無関係に、それだけで提供されるモノは今日ではほとんどない。・・・・消費者はもはや特殊な有用性ゆえにモノと関わるのではなく、全体としての意味ゆえにモノのパッケージと関わることになる。洗濯機、冷蔵庫、食器洗い機等は、道具としてのそれぞれの意味とは別の意味を持っている。<<引用「消費社会の神話と構造 」P17>>

消費社会においては、モノは他のモノたちと繋がっており、私たちはそういうモノたちの網の目の中で消費者として生きて(生かされている?)いる、といった考え方は直感的にもそれほど違和感を感じません。

となると、イメージ分野として考えてみたいのは、それらのモノたちの関係性を個別的ビジュアルとして表現するコンセプトです。

特に特定の顧客を対象としないストックイメージの場合、クリエイティブの前提としてある程度対象の市場分野を想定したりしますが、そこに上記の視点を持ち込むのならば、その該当対象分野も他の分野との応答関係の中で捉えていく必要がありそう、となります。

つまりそのような分野間応答関係を俯瞰したイメージ群がキーとなるということです。

そこから発生する1枚のヴィジュアルとはどういうものなのでしょうか....

ある1シーンに、「分野と分野」「モノとモノ」の応答関係が内包されるような、あんなのこんなのが脳裏に浮かんできます。

あるいは、1枚絵での完結にこだわらず、複数枚で表現するいわゆる「ストーリー」として落とし込んでゆく方法論の方が向いているかもしれません。そういう一連のビジュアル群はセット買いとしてのニーズを誘発しそうです。

うー、試してみたいアイデアがたくさん溢れ出てきます!!