フィカス・バーガンディ❶
植物にはまっている、と先日書きました。
そんな自分、本当かなぁ?と少し考えていたのですが、かなりのハマり方になりそうなこの感覚は、そこそこの強度を持っていそう、という結論に達しました。
ですので、育成中の植物たちの成長の軌跡を淡々と記録していこうと思います。
まずは、フィカス・バーガンディ。いわゆるゴムの木の仲間。2021年3月仲間入り。
2枚目の写真。先端の赤い突起部分にご注目!
新芽が展開し始めているのがおわかりでしょうか。ここ1週間くらいで動きが出てきました。とてもワクワクしています。
観葉植物
植物にはまっています。いや、はまらされていると言った方が現状に近い表現かも。
コロナ禍によって家で過ごす時間が増えたことによる影響とほぼ断言しても良さそうです。
今まで無頓着だったインテリアや外構の植栽などもやたらと気になっていて「あれ、俺ってこういう趣味あったっけな」と自分の中にプチ新発見があったりもしてなんだか新鮮でもあります。
多くの市場領域ではマクロ的小さな変化の積み重ねがマクロ的潮流に繋がっていきます。
なので、ビジュアル市場、特にストックイメージ分野におけるテーマ選択としてはこのような身近な要因も大事にしたいところですよね。
データや客観性が重視される傾向の世の中だけれども、そういう意味で主観、感覚、感性、直感といった自分の内側から湧いて出てくるような部分をもっともっと肯定的に受け止め、思考の起点として見直してみても良さそうです。
自分の感性を自分が一番信頼できるようなそんな人間になりたいものです。
みんなちがう
「みんなちがって、みんないい」
確かにそうです。みんなちがいます。
けども「みんなちがう」で止まってしまうのは勿体ない。
互いの違いを認識するからこそ、そこから理解が始まっていくのだし、更には共感を伴った理解に進んで行かねば、と最近よく考えます。(ま、正直以前はあまり気にしてませんでしたけど)
というのも仕事に絡みアジア市場でもがいてきた中、何とか市場に受け入れられようと価値を産む接点である「共通項は何か」をいつも探していました。
ただ、その「共通項」はあくまでも仮説であって、動けば動くほど、探せば探すほど僕の中では「ちがい」が浮き上がってきてしまうのでした。
一方、ドタバタと足掻きまくりながらも試行錯誤を続ける中でその「ちがい」に対し共感めいた感情が徐々に湧いてくるのを感じてもしていました。
対象に歩み寄ろうと懸命に共通項を探るからこそ共感できる「ちがい」に近づけるのでしょうか...
ビジュアルイメージに関わる仕事柄、何でもかんでもビジュアルに転換して構想する習慣がありますが、それってどうしても上っ面の変化に意識を奪われる傾向が強まります。
しかしアジアでの経験を通して、今では捉えるべき「共通項」は表面的な視点だけではなく人々の心(表象≒イメージ)に存在しているのかも、という考え方が加わってきています。
人々は全てが「ちがう」わけではなさそです。違いを違いのままで放置し思考を止めてしまっては単に他者を作り出したことにしかなりません。
誰しもどこかにきっと共感できる部分がある筈なのです。
そんなビジュアル群を産んでいきたいな!
イラストon実写
絵的に好きかどうかということではないのですが、一瞬実写ベースにイラストが描かれているのかと思いました。
一瞬、実写onイラスト、かと思った...ありかもしれないし、なくもないかもしれない🤔 https://t.co/IcA5wHbF1V
— 内田浩太郎/ PIXTA (@kotaroUCHIDA) January 15, 2021
よく見ると全てイラスト(アニメ?)であるようですね。
ビジュアル(主にストックビジュアル)制作にあっては改めてありだな感じました。パッと浮かぶアイデアとしては
- 観光写真+人物イラスト
- 空バック+人物/飛行機/鳥などのイラスト
- 街の風景+人物イラスト
- リゾート地+人物イラスト
などなど。つまり写真での一発撮りの代替え分野が少なくないし、手持ちの写真を再利用できる機会にもつながったりとか思ったりするのですが、こうやってテキストにしてみると極めて陳腐です....全ては語彙力です....
ともかく、実写とイラストの組み合わせは今に始まったことではないですが、現在のようなコロナ禍における制作的制限枠を拡げる一手として、方法論次第では見直してみるのも面白そうです。
と、そんなことを考えていたら、Barbara Kruger(バーバラ・クルーガー)というアーティストを思い出しました。彼女の場合は写真にコピーをのせる手法が目立ちます。
彼女の作品がプリントされたTシャツ着古してます。
何かしらインスピレーションを感じてもらえれば嬉しく思います。
#Morpheusinspired
このブログのタイトルである「Welcome to the desert of the real」は映画「MATRIX(マトリックス)」に出てきた モーフィアスのセリフが由来、というかそのものであるというのは既に書きました。
しかしながら僕よりも先にこのセリフに影響を受けた人がいるというのを発見しました。(そりゃいるでしょうね)
その彼というのは、哲学者マルクス・ガブリエルをして「叛逆的なスター哲学者」と評されるスラヴォイ・ジジェクというスロヴェニアの哲学者です。
彼の風貌からしても叛逆的な印象を受けますし、その著作群を読んでみたくなります。
いまのところ把握できているのは、彼の著書の一冊のタイトルにこのセリフを引用しているというところまでですが、ともかく一旦積読しておこうかな....
モーフィアス(ウォシャウスキー兄弟)→ジジェク→僕とインスピレーションの連鎖を受け取っているんだな、と勝手に舞い上がっております。
その本の翻訳版はこちら。
Welcome to the Desert of the Real