Welcome to the desert of the real.

visible, audible, tangible and simulacre....

みんなちがう

「みんなちがって、みんないい」

とは金子みすゞさんの詩「私と小鳥と鈴と」の最後の一行。

確かにそうです。みんなちがいます。

 

けども「みんなちがう」で止まってしまうのは勿体ない。

互いの違いを認識するからこそ、そこから理解が始まっていくのだし、更には共感を伴った理解に進んで行かねば、と最近よく考えます。(ま、正直以前はあまり気にしてませんでしたけど)

というのも仕事に絡みアジア市場でもがいてきた中、何とか市場に受け入れられようと価値を産む接点である「共通項は何か」をいつも探していました。

ただ、その「共通項」はあくまでも仮説であって、動けば動くほど、探せば探すほど僕の中では「ちがい」が浮き上がってきてしまうのでした。

一方、ドタバタと足掻きまくりながらも試行錯誤を続ける中でその「ちがい」に対し共感めいた感情が徐々に湧いてくるのを感じてもしていました。

対象に歩み寄ろうと懸命に共通項を探るからこそ共感できる「ちがい」に近づけるのでしょうか...

 

ビジュアルイメージに関わる仕事柄、何でもかんでもビジュアルに転換して構想する習慣がありますが、それってどうしても上っ面の変化に意識を奪われる傾向が強まります。

しかしアジアでの経験を通して、今では捉えるべき「共通項」は表面的な視点だけではなく人々の心(表象≒イメージ)に存在しているのかも、という考え方が加わってきています。

 

人々は全てが「ちがう」わけではなさそです。違いを違いのままで放置し思考を止めてしまっては単に他者を作り出したことにしかなりません。

 

誰しもどこかにきっと共感できる部分がある筈なのです。

そんなビジュアル群を産んでいきたいな!