Welcome to the desert of the real.

visible, audible, tangible and simulacre....

消費社会とイメージの関係(1)

ボードリヤールの一連の著書とそれら周辺の一群の書籍を紐解きながら、表題をテーマとして、気になったことを個人的なメモがわりとしてしばらく綴っていくこととします。

消費が関係(単にモノとの関係ばかりでなく集団や世界との関係)の能動的様式であること、すなわちわれわれの文化の全システムがその上に成り立っている体系的活動と包括的反応の様式であることを、最初からはっきりと認めなければならない <<引用「消費社会の神話と構造 」P10>>

 つまり消費は「個人の欲求の充足=効用」をとっくに超越していて、社会的な関係性の中で取り扱わなければならない、というわけです。

となると、

全ての宣伝には意味(サンス)が欠如している。宣伝は意味作用(シニフィカシオン)を伝達するだけである。<<引用「消費社会の神話と構造 」P131>>

であるとする前提も踏まえ、イメージのあり方も自ずとその関係性の中で捉えていかねばなりません。その一枚のビジュアルはどういった関係性の中で活用され得るだろうか?と(つまり単発的ではなく副次的な意味で)、自問自答を繰り返してゆく姿勢の持ち方如何ではクリエイティブの方向性に影響がありそうですね。

広告や広告に関連するビジュアルの作り手のなすべき行為は、あくまでも「あるモノ(サービス)の持つメッセージを、ある社会的関係性の中にいる対象へ如何に伝達できるか」であるという社会関係論的視点はあらてめての気付きでした。