母の日
母の日。
というかもはや妻の日でもある。
当家は祝い事でいまひとつ盛り上がりきれないタイプの家族。
なので、淡々と感謝を込めて花を送るということで。
娘は手紙をあげていた。それが一番嬉しいかもな。
もちろん母にも同じ店で頼んだ花を送った。
ちなみに、「母の日」の起源がちょっと気になったのでwikiにあたってみた。
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]。<<引用「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」>>
例によって日本の母の日もアメリカの流れをくんでいるようで、他にもちらほら諸説ありそうだけどこの引用の内容が元になっていると考えても良さそう。一旦はそう考えておこう。
となると女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウ、という人をもっと知りたくなるのが道理。
これもまたwikiから引用すると
ジュリア・ウォード・ハウ(Julia Ward Howe、1819年5月27日 - 1910年10月17日)はアメリカ合衆国の著名な奴隷制度廃止運動家・政治活動家。リパブリック讃歌の作詞者として有名な詩人でもある。<<引用「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」>>
であると。この時代にしかも女性という立場で大分アグレッシブそうな活動をされている....すごい。
因みにアンナ・ジャービスも社会活動家。社会の改革というものは活動家が導いてきたのだね。
こういう偉大な先人の方々がいて今がある。