Re:Start
最終更新から5ヶ月ほどが経過してしまいました。
原因の一つはカテゴリーの整理が苦手なこと。
カテゴリーに引っ張られて逆に書きたいことがギクシャクするということを繰り返しています。
このブログをどういう構造にしていきたいかはおぼろげにはあるにはあるのですが、その辺りをちゃんとしようと思うと今度は手が止まってしまいます。
都度都度書いていく中で試行錯誤していこくのが自分にはあってそうということで、ここら辺でゆるりとリスタート。
それでは。
転換点
私ももう54歳です。
今更、「転換点がやってきた!」などなにを青い事言っているのかと言われそうだけれども、人生というより仕事上の転換点が今日だったりするのかもしれないなという1日だった。
尤も、冷静に考えれば転換点なんて何回もあって良いわけで。実際あるわけで。
気付けるか気付けないかの違いかも。
そういう意味では、転換点だ!とほざいているのは、つまりは今日を転換点にしたい意思のあらわれなのかもしれない。
そうだ、きっとそうだ。
せっかくだからそうしてみようよ。
今敏
というアニメ監督を知った。
そんでもってパプリカという作品をネトフリで見た。
とっても良かった。
で、興味を持って色々検索していたら彼のブログを発見。もう亡くなっている方のものなのでつい感傷的に読み込んでしまったのかも知れないが、飾らない文章に引き込まれた。
他の作品もぼちぼち見てみよう。
コピーの中にある何か
新しいものを創造する、といってもそれでも人は少なからず、いやほとんどは何かの影響を受けているもの。
ビジネス、アート、音楽....ほとんどの人々がそれまでの先駆者の良いところを組み合わせ、いかに「自分なりに表現」するかという事に懸命になっているのではないだろうか。
つまり世界は全くのオリジナルは存在しないという前提で回っている。
なのでこの「自分なりに」というのが現代社会における擬似オリジナルと捉えて良いかもしれない。
何かその人の印のようなものとでも言うのか...
同じ何かを参考にするにしても、そういう気概を持っているのとそうでないのとでは大きな違いがありそうだ。
最近知った、オーストラリアの先住民の「アボリジナルアート」
の創作者たちでさえも、太古から生み出されてきた表象の数々にインスパイアされている。というか同じジャンルの枠内で延々と続けているのだ。それを単純にコピーとは言えないだろう。
そして、こうやって異なる文化に紹介されることで、それらは他の何かにまた影響を与えることになる。
そんな連鎖の中に僕らはいる。
と、まぁ何か知ったようなことを書いているけれど、このアボリジナルアート、めちゃくちゃ良いですね。
ドローイング
最近、頭の中にあるものを引き出す作業の一環として「ドローイング」が効果的だなと思い始めている。
それもかなりの抽象的な方向性。
結果を予期していないので思わぬ仕上がりに対してもなんだか感動できる。
「頭の中」といっても具体性はなくてましてやビジスに繋がるものでなんかない。
むしろ逆にビジネス的価値に換算しないスタンスの方が気持ちよく入れる。
未知のものが徐々に形になっていく様はなんとも言えない。
繰り返すうちに、真っ白な紙に向かう最初の瞬間がなんともいえなく待ち遠しく日々の知的楽しみになっている。