ネナシカズラなど
今日のトピック
- 塾のガイダンス説明会へ。6年生になる年ということで勉強のペースを保つことの重要さ再確認。
- ネナシカズラという植物を知った。ほぼ光合成をせず他の宿主に寄生する植物。まるで植物バンパイア。
- 娘のiMoveで作った動画に感動。一緒にYouTubeチャンネルでもしようかなとか。
- ジャイアンツのキャンプをG+で見てた。野球は今の時期が一番「楽しみだな」という感覚に満ちている。球春到来!
- プチファスティング。朝:海藻味噌汁、昼:ヨーグルト、夜:おじや。空腹は水やお茶でつなぐ。週一くらいのペースでやってみよう。
読書中
チャールズ・ジェンクス
ポストモダン建築とは、建築が大衆や建築に関連する少数者とコミュニケーションすることを目的として、近代(モダン)の技術を、他の何か(通常は伝統的な建築)と組み合わせることである。 P156
リオタール=ポストモダンとは19世紀末以降、科学・文学・哲学を支配していたゲームの規則に影響をあたえていたさまざまなな変化のあとで、文化が到達した状態を指示している。・・・・真なるものを探求するかぎり、科学は、みずからのゲームの規則を正当化する義務がある。だからこそ科学は・・・・正当化のための言説を持つのであって、この言説が哲学と呼ばれたのである。こうしたメタ言説が精神の弁証法、意味の解釈学、理性的主体・・・・等々の大きな物語に依存している時には、我々は自己正当化のためにそれを手がかりにする科学をモダンと呼ぶことにする。・・・・ごくかんたんに言えば<ポストモダン>とはメタ物語への不信のことなのである。P156
ふむふむ。
他にも、モダンはリアリズムでポストモダンは記号の世界(多木浩二)であるとか、現実の方が幻想であって、幻想の中で組み立てられたものがかえって現実に見える(磯崎新)とかもふむふむ。
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消費と記号
1968年「物の体系」で、主体のコントロールから解放されたモノたちのシステムとして現代社会を位置付けなおし、1970年の「消費社会の神話と構造」で、消費を欲求充足の過程ではなくて、差異表示記号のネットワークへの書き込みのプロセスとして分析して「記号が意味するものはまったくといってよいくらいどうでもよいものだ」と断言し・・・P160
とのことで、その考え方は大変目から鱗。しかし、記号が意味するところは今の私の小さなビジネスの世界では割と重要な視点な気がしている。この辺まだ言語化できていない。
その他、ヴィリリオの「消滅の技術」については今無理して追わなくてもまたどこかで繋がる気がしている。
ストックフォト徒然
ストックフォトクリエイティブについては、仕事やプライベート関係なくのべつまくなし色々あれこれあーだこーだ考えているので備忘的に書いておこうかな。どこかで自分なりの理論をちゃんとまとめるためにも。
で、最近ちょっと新しいところとしては、上記の消費記号論上の視点。モノやサービス間でコミュニケーションされている状態を客体視点からイメージに反映させるあれこれ。
今日はこのくらいで。