Welcome to the desert of the real.

visible, audible, tangible and simulacre....

2019年に読んだ本(下半期)

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その年に読んだ本の振り返りとして、上半期・下半期の分量でブログに書くということ自体、読者の読む気を阻害しているなと、書きながら反省ばかり。次回からはせめて四半期ごとか。

だけど、「自分が読みたいか」という点でいうとかなり読みたいし、ひとまず書き残しておこうと。

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下期は、少しペースが上がったのと、ボードリヤールとの出会いによって自分の中の「思考傾向」という点でなにか潮目が変わってきた感覚がある。

7月(3冊)

22.禁断の魔術(東野圭吾)

読書リハビリがてらに、一時ハマりまくっていた東野圭吾の湯川もの。久しぶりに。

気軽に読めた気がした。

23.Carver's doezen (レイモンド・カーヴァー)

ハードボイルドっぽくない一面の作品集12編。情景描写がそれほど細かくはないのに、イメージがありあり浮かんでくる作品が多かった。「ささやかだけど、役に立つこと」「サマースチールヘッド」「足元に流れる深い川」あたりはとても好き。心象に刺さるストーリーと文体だったからか。村上春樹訳。

24.千の顔を持つ英雄(上)(ジョーゼフ・キャンベル)

5月に読んだ「神話の力」に刺激を受けて数年ぶりに再読。なんとなく必読書という記憶はあったが、読み始めるにつれ新鮮な刺激に溢れていた。つまりほぼ覚えていない!!

神話は現在も姿形を変えて至る所に存在している。それは信じる信じないという問題ではないのである。感想をどこから書いて良いのかわからない類の書。

 

8月(3冊)

25.千の顔を持つ英雄(下)(ジョーゼフ・キャンベル)

上巻から続くが、感想にたどり着くにはあと何回か読まなければならない。2020年も読み返す予定。

26.NEW TYPEの時代(山口周)

「未来は予想せずに、構想する」これだ。これが一番の共感点。

僕にとってのこの一冊のもう一つの価値は、1人の思想家を知ったこと。その人とは、消費を「差異の循環」と捉えたジャン・ボードリヤール。2019年の残り3ヶ月で彼の著書を5冊ほぼ一気に読むことになる。そういう意味では、もしかしたら自分の思考的には大きな転換になったかもしれない。

氏の前著の「世界のエリートは・・・」も非常に多くの共感点があった。Twitterもフォローしている。

27.地図と領土(ミッシェル・ウェルベック)

傑作!!

ウェルベック本人が殺される、という話題以上に、主人公である芸術家がリアルの芸術家以上に芸術家を感じさせること。

語り手は言う。「アーティストであることは、彼にとっては何よりも<従順>であることだった。それは神秘的な、予見できない、それゆえいかなる宗教的信仰も抜きで<直感>としか呼びようのない種類のメッセージに対する従順さなのだが、とはいえ、そのメッセージは有無をいわさぬ、絶対的なやり方で命令を下し、それを逃れる術を全く与えない」・・・

Fast&Slowでいうところの「システム1」=直感をいかに鋭利な存在となせるか。直感を日々磨くこと。自分が心底従順になれるような直感に昇華できるかどうか。

イメージクリエイティブにおいては、まさに最重要な要素であり課題であると思う。

 

9月(4冊)

28.消費の神話と構造((ジャン・ボードリヤール)

「消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない」(本書P80から引用)

2019年ベスト1。

消費とイメージ」という関係性についてより深く考えるきっかけとなった一冊。ビジュアルイメージといっても「使われ方」という点で言えば様々な切り口がある。中でもストックフォトというのはイメージそのものが「売れる」現象が存在してるとしても、実はそれは消費者に直接的に消費されている類のものではないと考えた方が良さそうだ。むしろ個人的には「消費する主体」と「被消費対象」とをつなぐ役割のひとつであると考えている。ということはイメージそのものの探求もさることながら現代の消費行動を生んでいる土台となる「システム」の探求もまた必須。さて、「ある種のコード」とは一体何なのだろうか。何度も読み返さなくては。そして、彼は写真家でもあるというところに遠くて近い感覚を抱いてしまう。

29.素粒子(ミシェル・ウェルベック)

2019年はなぜかわかりませんが、ウェルベックの再読イヤーだった。

本書は再読してこそ意味するものの面白さ、特にプロローグの、がじわじわくる小説だ。

異父兄(弟(ミシェル・ジェルジンスキ)のまるっきり異なる生きたか・考え方が軸に物語が進んでいくが、その行き着くところの世界への貢献という意味でいえば僕らが生きていること自体が大小の差異はあれ、(振り返ってみれば)その時代の世界観の醸成に貢献している。

ジェルジンスキの生きた時代、人々は哲学をいかなる実際上の重要性もなければ、対象も持たない代物だと考えるのが常だった。だが、現実には、ある時期に社会の成員たちによってもっとも広く受け入れられている世界観こそが、その社会の政治、経済、慣習を決定するのである (プロローグより引用)

ウェルベックボードリヤールはどこか思想的共感のオーバラップを感じる。フランス人、ということに何か意味があるのかな。

30.プラットフォーム(ミシェル・ウェルベック)

割と知的な2人が「儲ける」という点で「買春ツアー」ビジネスを展開するが、、、

相変わらずディテールすぎる性的表現のオンパレードであるのだけれど、であればあるほど読後の喪失感が深い。書かれたのが2001年。今だったら、まさに文字通りこの観光サービスはオンラインのプラットフォームとして立ち上がる設定になっただろうな。

31.論語(貝塚茂樹)

もう何年も本棚の奥にあった一冊。お風呂のお供に手に取ってみた。

「氏曰く、位なきを患えず、立つところ所以を患う。己を知る莫きを患えず、知らるべき爲すを求むるなり」(P83-84から引用)

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孔子がいわれました。「地位が得られないことを気にかけるな。それにふさわしい実力をたくわえることに努力せよ。人に知られないのを気にするな。人に知られるに値することにつとめよ。」と。

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まさにSNS時代こそ念頭に入れておく言葉かも。

 

10月(2冊)

32.孤独な群衆(デイヴィッド・リースマン)

先のボードリヤールの「消費の神話と構造」にて幾度どなく引用されていたので手にとってみた。なかなかの長丁場だった。

社会の人々を"社会的性格"として「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」の大きく3タイプに分類した。中でも、

他人指向型に共通するのは、個人の方向づけを決定するのが同時代人であるということだ。この同時代人は、かれの直接の知り合いであることもあろうし、また友人やマス・メディアを通じて間接的に知っている人物でもかまわない。・・・・・他人指向性の人間が目指す目標は、同時代人のみちびくままに変わる。かれの生涯を通じてかわらないのは、こうした努力のプロセスそのものと、他者からの信号に絶えず細心の注意を払うというプロセスである。(P17より引用)

なんと現代的であろうか。本書が書かれたのが1960年代であったことを考えると、先見の明であったし、その後更にその傾向が進んだといえ、近年ではSNSの発達に伴ってむしろ「加速」していると捉えられる。これはひとつの消費のシステムのベースとして考慮しておく必要がある。何はともあれ、僕自身、このブログを書いている時点で完璧な「他人指向型」であったりもする。

ともかく本書は長い、長いのがけど付箋箇所だけでも再読しておこう。

33.服従(ミシェル・ウェルベック)

再読イヤー。

パリの衝撃的なテロ事件との関連でもてはやされることの多い本書だけど、改めて読むと「現代社会がもっとも広く受け入れている世界観」の可逆性についてのあり得る可能性的リアルさを感じさせる内容。小説なのに付箋をつける箇所の多い作家。

 

11月(2冊)

34.シミュラークルとシミュレーション(ジャン・ボードリヤール)

嵌っている。

後で知ったことだけれど、本書はあの映画「マトリックス」に多大な影響を与えたそうな。

ところで「シミュラークル」。この言葉自体全く馴染みのない僕は最初何が何だかわからないままに読み進めていた。まぁ検索すればそれなりに意味は出てくるのだけれども、シミュラークルの先行、というのは「模造」の先行???一体何?

しかしこれはある意味正しい。現実の二次的要素だった「模造」「コピー」がいつの間にか現実を先行してしまうのだ。そのプロセスがシミュレーションなのである。あの、おとぎ話の模造であったはずのディズニーランドがもはやいまや我々にとってはオリジナル(実際の海賊やお姫様)以上に現実であるのだと。深い考え方である。まだ20%くらいの理解か。もう三、四度と読み返してみよう。

35.象徴交換と死(ジャン・ボードリヤール)

彼は、もはやマイヒーローになりつつあるのだけど、本書は本当に難解だった。というより前提知識が全く足りない。ソシュールラカンマルクス、モース・・・・引用ごとに引っかかる。が、なぜか惹かれるのだ。

一点、ソシュールアナグラム論というものを知るきっかけとなったのは前進。言語学記号論、この辺りはイメージクリエイティブ、特に大量のイメージが生まれてくるストックフォトイメージの新たな展開構想に繋がるものを感じている。

 

12月(4冊)

36.芸術の陰謀(ジャン・ボードリヤール)

何ということであろうか。ボードリヤールは芸術の世界でも多大な存在感を放っている。あの、ジェフ・クーンズはボードリヤールの「シミュレーション」的考え方に影響を受けている!ただ、本書を読むと彼らのアプローチが若干色褪せて見えてくるのだが、それは影響されやすい僕の浅はかさ、というものだろう。

もちろん再読する中でもっと理解しなければならない本書であるが、一点、マルセール・デュシャンという芸術家の存在は、実はストックフォト分野との大きな接点があるように思った。というのも彼の一連の「レディメイド」というアプローチ。まさにこれはレディメイドであるストックフォトのあり方とどこかに一筋通ずるのではないだろうか。そのまま当てはめるというよりは、レディメイドに幻想はいらないのかも、ともいえるが、そうでないともいえないという矛盾する交差点がどこかに。。。。

37.完全犯罪(ジャン・ボードリヤール)

 ボードリヤール師匠!

これは、ひとつの犯罪の物語であるー現実の殺戮という犯罪。それと同時に、幻想(世界という、もっとも重要で根源的な幻想)の根絶という犯罪。現実的なものが幻想中に消滅したのではない。幻想のほうが、全面的な現実のうちに消滅したのだ。(P5冒頭より引用

この時点の僕の理解としては、単にかつての現実が失われているだけではなく、幻想を伴う現実の消滅、ということか。

全てをわかりやすさの中にリアルタイムに埋没させることで、かつて現実に含まれていた意味自体が消滅してしまった。意味が含まれていたかつての現実は今では現実とはいわない。いまの現実とは「ありのまま」であるという単純明快さだ。しかし、かつて存在した意味の喪失は人工的な意味に生産繋がっていく。VR,ARなどが最たるもの。現実が拡張されていく。ボルヘスのおとぎ話で地図が領土を先行したように仮想現実が現実を先行するシミュラークルの成立か。そのこと自体がシステムの確信犯だといえるのだろうか。現実に意味を再獲得させる必要性はどの程度残されているのだろうか。

38.人間以前(フィリップ・K・ディック)

改めて、面白い!!最高!

完全にボードリヤールの影響下に置かれている。今の僕にはもっと幻想が必要だ。幻想・夢想・空想・非現実・現在過去未来・パラレル・・・・そういったものを硬くなったこの頭や心に取り込んで、リアルなイメージクリエイティブと融合し市場にフィードバックする。自分でも一体何をいっているのか意味がわからないが、それがSF。ディックには読んでない作品も多いので、2020年に向けて読破したい作家。小説はしばらくミステリー主体だってけれどもSF突っ込んでいきたい。

39.イリアス(上)(ホメロス)

叙事詩!といわれていて何遍も挫折(上の20ページくらいで)していたが、習慣の半身浴用として読み出したら意外にに嵌った。以前は登場人物の似たような名前が大量に出てきて誰が誰だかこんがらがってしまっていたからなのだけど、そういう読み方でなくて、この時代(紀元前8−6世紀ですよ!)にも関わらずの比喩の凄さや、万能ゼウスといえども万能ではない人間らしさや、 何をおいても「神がかる」ということの正体や、供儀の重要さや、敵へのリスペクトや・・・・お風呂で下に続いてます。

40.高い城の男(フィリップ・K・ディック)

いやー、すごい発想。第二次世界大戦戦勝国が日本とドイツであると仮定して、北米を両国が分割統治するという十分あり得た可能性のある意味の伴った仮想過去現実な設定。ディテールでは日本人が物事の判断を易経に頼ったりと、「現代の日本人」から見れば若干違和感のある部分もあるのだけど、まぁそこも含めて仮想過去現実であり十分仮定の世界に浸らせてくれる。SF的アプローチは未来ではなく過去現実にも適用できる。

最後に、この本でグッときたセリフを紹介しておこう。

「まぁ聞けよ、俺はインテリじゃないーーーファシズムはインテリには用はないんだ。必要なのは行動だけだ。理論は行動の後から生まれる・・・・」(P262から引用)

ファシズム礼賛ではないですよ。 そして中途半端な本の読みすぎにはくれぐれも注意、ということで。

2020年もどんな本と出会えるのか、本当に楽しみ!!!