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「海賊と資本主義」(著)ジャン=フィリップ・ベルニュ / ロドルフ・デュラン

黒ひげ、スパローといった海賊に対するステレオタイプな見方を覆してくれます。

テンションアゲめで言えば、本書は国家と資本主義連合VS海賊"的"集団・組織のせめぎ合いから生じる何か、を巡る内容です。

事業運営、経営視点で読み込むとある意味非常にワクワクする視点多数でした。

こういった従来の物の見方に異なる視点を与えてくれる本が大好物です。

さて、海賊。

ハリウッドやディズニーに洗脳されてしまっていて、表面的な荒くれ者的なイメージ(それはそれで魅力的なのだけど)しか持てていませんでした。

しかし、その本当の姿は随分異なっていたようです。それが本書では「組織」という観点から描かれています。

本来のタイトルは「The pirate organization: Lessons from the Fringes of Capitalism 」ですからね。邦題は少しミスリードな気がしないでもありません。

いわゆる荒くれ盗賊者的意味合いではなく、何故その組織(実際彼らはとても組織的でした)が存在し、私たちの生きる国家や資本主義社会にどういう影響をもたらしてきたのかという流れを追っていくことになります。

著者はこの観点から「組織学」というものを提唱していたりもします。

さて

海賊的集団の登場は歴史の激動の時代である。

と著者は言っていますが、これはいわゆる「資本主義の発展」と連動した歴史という文脈で読み込むのが良さそうです。以下の三段階に大別されています。

第1段階

一つ目の黄金期、海賊船が世間を騒がせたのは、生まれたばかりの資本主義が市場拡大のため、インドへ、そして新大陸へと向かったまさにその時代であった 

つまり15-16世紀くらいでしょうか。新大陸とは文字通り「アメリカ大陸」です。この時代の海賊のイメージがそのまま現代に通底しているようです。

確かにそういう一面もあったようですが、本書をよく読むと、国の許可を得て(私掠船として)活動していたものもありました。主権国家成立前夜は各国間のルールも曖昧で法整備もままならず互いの私益によって争っている時代だったのです。

そういう中で利用された集団は、ある国にとっては私掠船(時に英雄)としての扱いであり、攻められる側の国からすれば海賊(盗賊)と映っていたわけです。それは、

 ヤン・ファン・エイクの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」であり、カンギレムが「正常と病理」で示した「同じものの違った様態

でありました。つまりは視点によって見え方が異なるダブルミーニングな存在だったのです。その背景は興味深いので是非本書を読んでください。個人的にもこの時代の関連本を読んでみたくなりました。

第2段階

二つ目の黄金期は、インターネットの海賊、ハッカー達の時代だ。彼らは、コンピューターの時代が始まり、電子化された情報の流れとグローバル経済が一体化するなかで、世界から認知されるようになったのである。

時代がいきなり飛ぶのですが、ハッカー達もいわゆる海賊の文脈として語られています。しかし、その行動パターンはなるほどと思わされます。

いわゆる新しい空間をみんなで活用しようというオープンさ、フラットさに反して、国家や大企業による規制や囲い込みへの反抗という意味でです。

スティーブ・ジョブスがアップルの創業、本社正面入り口にはしばらくの間海賊旗が掲げられていたそうです。しびれますね!(こちらの記事も参照ください:Apple創業40周年、本社キャンパスに海賊旗が翻る

第3段階

3度目の黄金期が、ミクロの世界を舞台に進行中である。遺伝子の存在が確認されて以降、バイオ・テクノロジー、クローン技術、生命科学が急速に発展、そこん登場したのが、バイオ・パイレーツなのだ。

2000年に「ヒトゲノム」の解読宣言がなされて以降、この分野では様々な議論がなされています。

この分野でも国家、当局、大企業が独占しようとあらゆる場面での規格化、ルール化に対し、その枠の周縁でどんどん新しい動きが出ているのだそうです。

こういう新しい分野では、国家などの法制化を待っていては、あるいは任せていては前進できません。

大企業が遅れてやってきて国家と組んで「新法を盾に」利益を独占していく。そんな構図に反旗を翻しているのだとも言えます。

さて、ここで見えてくるものがあります。

それにはまず、資本主義の発展は主権国家とともにあった(ある)ということの理解が必要です。

資本主義の躍進には、制度が整備され、所有権が保証されるようになることが必要だった。そうした下地があってこそ、経済の近代化を特徴づける大きな変動、資本主義社会の到来に繋がったのだ

だから、国家主導による制度や法律などの整備の方向性は、時の「主権」にとってある種都合の良いように作られていったと言えるでしょう。

そういう状態と資本主義の仕組みが相思相愛で広がっていったと理解できます。

つまり資本主義はそういう環境の元で反映できる仕組みなのです。

僕は著者の資本主義のこの定義を重視したいと思います。

要するに、資本主義とは、単位を統一し、労働力や資本の流通、交通を促すことなのだ 

まさにグローバリズムの核心です。主権が新たな市場の開拓、規格化を通してテリトリー化しているわけです。

大企業や世界を席巻している欧米勢の手法そっくりじゃないですか?

しかし、技術革新や新しいものの考え方の発見を通し、やはりどうしてもそういう中央主導の規格化、テリトリー化される枠のなかでは収まらない人々、組織が出てくるのが我々人類の面白いところ。

そういった枠の周縁や外側から新たな思想、行動を通して脱規格化、脱テリトリー化に動こうとするのが本書で語られているいわゆる海賊達であるのです。

本書を読んで僕が刺激を受けたのはまさにこの点でした。

事業に携わるものとして、すでに規格化された世界においてMBAマーケティングや経営論を学び、はたまたビジョナリーなカンパニーを模倣するなんてことは従順な人間の大量生産でしかなく、既存の勢力が幅を利かす枠内で優位性を見つけることはもはや不可能なんじゃないかとすら考えてしまいました。

だから、何もナノテクや宇宙という新たな空間に漕ぎ出さなくとも、既存市場で戦っている場合であっても、未だその枠で主流となり得ていないのであれば、あえて枠の周縁(外側)から切り込むような海賊的アプローチにはどのようなものがあるのか、などと考える機会となりました。

特にベンチャー企業はそういったマインドを強く持つべきだなと思います。

一方、もし我々がそのテリトリーにおいて主流となり得ているのであれば、そういった海賊的な動きを柔軟に取り入れていく、つまり、自ら作り出している枠の周縁とそれらを馴染ませるという規格化の微修正を通して更に進化・強化させていく必要があるのだろうとも思うのです。(つまり変化に敏感になるということですね)

一つの企業体が、ヤンファンやカンギムの表現するような、ある市場では主流、ある市場ではちっぽけな粒、とういうダブルミーニングな存在であるならば、振る舞いはそれぞれに変わってしかるべきだと思います。。。

などなど、本書は多くの示唆に富んだ視点を提供してくれます。

もっと色々思いついたこと、書きたいことがあるのだけど、まだ、まとまらない、うまくつながらないという状態です。

理解を深める為にもう少し寝かせる必要ありそうです。

ということで今日はここまでとします。