Welcome to the desert of the real.

visible, audible, tangible and simulacre....

教育のグローバル化、など

今日のトピック

  • 朝のラジオ。日本の教育は受動的と批判しつつ、アメリカの先端的教育事情を紹介。この分野もグローバル化に巻き込まれているのか=欧米追随。アメリカ様式に従う人間を増やすばかりだ。別角度でみれば日本固有の教育とはなんだろうか?受動的な形になってしまう環境的要因があるのではないだろうか?本当に変えたいのならそこからでは?我々の教育法を世界に紹介していく活動の方が実は学びがあるのでは?何でもかんでも逆輸入は古い考え方になりつつあるな様な気がしないでもない。そういえば寺子屋ってどういう仕組みだっけ?などどと。
  •  ものやサービスから発信される記号は受信側のリテラシー次第でもある。
  • 節分。我が家は恵方巻とか全然話題にもならない。擬似イベントに興味を持てない僕が原因かな。
  • そういえば俳句始めた。絶対面白い!季語が大事。だけど来月はじめて句会に参加するのだけど、ちょっと緊張するなぁ。ビジネスなら大丈夫なんだけど、趣味とかそういう世界のアウェイ感に弱い自分です。

読書中の本から

 

 今日から読み始め。ボードリヤール連続8冊目。正直嵌っているのだけど正直理解度まだ15%程度。伸びしろある!

本書はちょっと翻訳読みづらい。

日常生活に使用する物は数が多くなり、需要が増える、生産は物の誕生と死に加速を与えているというのに、そういう物を表す語彙が不足している。急速に変わっていく物の世界を分類して、それを記述する体系を作るなどということが期待できるのだろうか。(P1序論)

動植物の分類のように、それは現代では楽天Amazonが実現しているのでは?と考えたくなるところを本書では、

・・・ここで問題にされるのは、機能で期待される物、分析に好都合になるように物を区分できる分類方法で規定されるものではなく、人間と物とかかわるプロセスと、その結果生じてくる人間の行動と関係の体系としての性質である。

と示している。うっすらと理解できそうな考え方ではあるがひとまず読み進めてみよう。

こちらも並行して読んでいる

 

  • 俳句は15文字の文学であります(P12)
  • 俳句はこの時候というものにもっとも重きを置いた文学であります
  • それが俳句になりますと・・・たとい恋、羇旅、無常などを詠ずるとしましても必ずそれは季のものを詠みこむのであります。

楽しそう!

ストックフォトクリエイティブ徒然

なんとなくだけど、「節分」コンテンツ、特に人物演出系の写真がマーケットに少ない気がしている。特殊的季節的な単発ニーズということもあるだろうけど、そういう擬似イベント系を年間サイクルで追っていことに特化する戦略のもありかもしれない。それも世界的に。ポートフォリオの一つとして十分検討できるネタだと思う。

 

 

タイムマシン経営など

今日のトピック

  • ベンチャーの乱立戦国真っ只中の中国サービスをウォチする事からのタイムマシン経営とか。コンテンツ分野にも応用できるかな。
  •  四万十川の名前が平成に入ってから変更されたとか始めて知った。20数年足らずで本来の名前だったと思えるほどに日本中に浸透ていてすごい。また、200種以上の魚が住み着いていて、汽水域の広さが環境にあった水質を作り、なだらかな傾斜によって海からの多くの魚が海から登って来やすく、結果定着するのだと。
  • 現実を直視してありとあらゆるファクトベースに改善していく人と、未来のありたい世界に目線を向けて行く人ととは二項対立的関係ではなくて、そんな双方が協業していく形がもっともっと重要になるしそんな形態を夢想していた。もっと深めたい深めるべき。
  • 鬼滅の刃を娘と見る。彼女は怖がりなので父としか見ない。いつまで続くかなぁ。

読書中

ボードリヤールという生き方

「リベラルなデモクラシーの観念はそれ以上改良される余地がないからだ(P180)」

というのであるけど、事はそう単純ではなさそうだ。いつか読んでみなければ。

ごく単純化すれば、20世紀後半の世界には、もはや「金持ちアメリカ人」と「金持ちのアメリカ人になりたがっている貧しい人々」の二種類の人間しかいなくなったということであり、コジェーヴは、世界のこの潜在的な「アメリカ化」のうちに「歴史の終わり」をするどく見抜いていたのだった(P180)

どちらかというとこちらに共感する。だけど、そんな形で歴史を終わらせたくはないが、彼はさらにこういう。

「歴史の終わりを乗り越える」には「普遍化=グローバル化」とは反対の方向から世界の外に出る可能性をどこかに見つけなければならない。(P185)

まさにこれ。話の規模をビジネスに当てはめると、世界のビジネス環境はまさに欧米主導の市場構造=グローバル化となっている。僕も海外、特にアジア方面で直面している現実でもある。

競って学ぶのは誰しもが欧米発のノウハウ。それらをうまくやればやるほどコジェーヴのいう欧米化の進行に手を貸していることになるのだから一生勝てない。こういう世界の外で戦わなくては!

  • 他者性/トランス/ポジティブな価値だけを受容するシステムの危険性=免疫力の低下/バーチャルな戦争/などなどのワード多数で消化不良気味

ストックフォト徒然

自分自身ともかくほぼ毎日写真を撮っている。記号論的考え方と実際のイメージの融合を念頭に入れているつもり。そしてほとんど一切の演出が不可能なストリートが中心だ。現実に転がっている記号、それも複数の記号が重なる情景に目を向けるよう心がけている。まぁ視点獲得の一つの訓練のつもり。Instagramにあげてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネナシカズラなど

今日のトピック

  • 塾のガイダンス説明会へ。6年生になる年ということで勉強のペースを保つことの重要さ再確認。
  • ネナシカズラという植物を知った。ほぼ光合成をせず他の宿主に寄生する植物。まるで植物バンパイア。
  • 娘のiMoveで作った動画に感動。一緒にYouTubeチャンネルでもしようかなとか。 
  • ジャイアンツのキャンプをG+で見てた。野球は今の時期が一番「楽しみだな」という感覚に満ちている。球春到来!
  • プチファスティング。朝:海藻味噌汁、昼:ヨーグルト、夜:おじや。空腹は水やお茶でつなぐ。週一くらいのペースでやってみよう。

読書中

ボードリヤールという生きかた

チャールズ・ジェンクス

ポストモダン建築とは、建築が大衆や建築に関連する少数者とコミュニケーションすることを目的として、近代(モダン)の技術を、他の何か(通常は伝統的な建築)と組み合わせることである。 P156

 

リオタールポストモダンとは19世紀末以降、科学・文学・哲学を支配していたゲームの規則に影響をあたえていたさまざまなな変化のあとで、文化が到達した状態を指示している。・・・・真なるものを探求するかぎり、科学は、みずからのゲームの規則を正当化する義務がある。だからこそ科学は・・・・正当化のための言説を持つのであって、この言説が哲学と呼ばれたのである。こうしたメタ言説が精神の弁証法、意味の解釈学、理性的主体・・・・等々の大きな物語に依存している時には、我々は自己正当化のためにそれを手がかりにする科学をモダンと呼ぶことにする。・・・・ごくかんたんに言えば<ポストモダン>とはメタ物語への不信のことなのである。P156

ふむふむ。

他にも、モダンはリアリズムでポストモダンは記号の世界(多木浩二)であるとか、現実の方が幻想であって、幻想の中で組み立てられたものがかえって現実に見える(磯崎新)とかもふむふむ。

  • 消費と記号

ボードリヤール

1968年「物の体系」で、主体のコントロールから解放されたモノたちのシステムとして現代社会を位置付けなおし、1970年の「消費社会の神話と構造」で、消費を欲求充足の過程ではなくて、差異表示記号のネットワークへの書き込みのプロセスとして分析して「記号が意味するものはまったくといってよいくらいどうでもよいものだ」と断言し・・・P160

とのことで、その考え方は大変目から鱗。しかし、記号が意味するところは今の私の小さなビジネスの世界では割と重要な視点な気がしている。この辺まだ言語化できていない。

その他、ヴィリリオの「消滅の技術」については今無理して追わなくてもまたどこかで繋がる気がしている。

 ストックフォト徒然

ストックフォトクリエイティブについては、仕事やプライベート関係なくのべつまくなし色々あれこれあーだこーだ考えているので備忘的に書いておこうかな。どこかで自分なりの理論をちゃんとまとめるためにも。

で、最近ちょっと新しいところとしては、上記の消費記号論上の視点。モノやサービス間でコミュニケーションされている状態を客体視点からイメージに反映させるあれこれ。

今日はこのくらいで。

詩的人間

詩人、思想家であるヘルダーリンによれば詩的人間とは、 

あらゆる神々によって通り抜けられ、あらゆる大河から力を汲み取り、生成の力だけによって、パトモス(エーゲ海の小島)からインダスまで、地球のあらゆる神話的な場所に住まう人間である。(ボードリヤール「悪の知性」から引用) 

 

詩的人間でありたいものです。

 

2019年に読んだ本(下半期)

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その年に読んだ本の振り返りとして、上半期・下半期の分量でブログに書くということ自体、読者の読む気を阻害しているなと、書きながら反省ばかり。次回からはせめて四半期ごとか。

だけど、「自分が読みたいか」という点でいうとかなり読みたいし、ひとまず書き残しておこうと。

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下期は、少しペースが上がったのと、ボードリヤールとの出会いによって自分の中の「思考傾向」という点でなにか潮目が変わってきた感覚がある。

7月(3冊)

22.禁断の魔術(東野圭吾)

読書リハビリがてらに、一時ハマりまくっていた東野圭吾の湯川もの。久しぶりに。

気軽に読めた気がした。

23.Carver's doezen (レイモンド・カーヴァー)

ハードボイルドっぽくない一面の作品集12編。情景描写がそれほど細かくはないのに、イメージがありあり浮かんでくる作品が多かった。「ささやかだけど、役に立つこと」「サマースチールヘッド」「足元に流れる深い川」あたりはとても好き。心象に刺さるストーリーと文体だったからか。村上春樹訳。

24.千の顔を持つ英雄(上)(ジョーゼフ・キャンベル)

5月に読んだ「神話の力」に刺激を受けて数年ぶりに再読。なんとなく必読書という記憶はあったが、読み始めるにつれ新鮮な刺激に溢れていた。つまりほぼ覚えていない!!

神話は現在も姿形を変えて至る所に存在している。それは信じる信じないという問題ではないのである。感想をどこから書いて良いのかわからない類の書。

 

8月(3冊)

25.千の顔を持つ英雄(下)(ジョーゼフ・キャンベル)

上巻から続くが、感想にたどり着くにはあと何回か読まなければならない。2020年も読み返す予定。

26.NEW TYPEの時代(山口周)

「未来は予想せずに、構想する」これだ。これが一番の共感点。

僕にとってのこの一冊のもう一つの価値は、1人の思想家を知ったこと。その人とは、消費を「差異の循環」と捉えたジャン・ボードリヤール。2019年の残り3ヶ月で彼の著書を5冊ほぼ一気に読むことになる。そういう意味では、もしかしたら自分の思考的には大きな転換になったかもしれない。

氏の前著の「世界のエリートは・・・」も非常に多くの共感点があった。Twitterもフォローしている。

27.地図と領土(ミッシェル・ウェルベック)

傑作!!

ウェルベック本人が殺される、という話題以上に、主人公である芸術家がリアルの芸術家以上に芸術家を感じさせること。

語り手は言う。「アーティストであることは、彼にとっては何よりも<従順>であることだった。それは神秘的な、予見できない、それゆえいかなる宗教的信仰も抜きで<直感>としか呼びようのない種類のメッセージに対する従順さなのだが、とはいえ、そのメッセージは有無をいわさぬ、絶対的なやり方で命令を下し、それを逃れる術を全く与えない」・・・

Fast&Slowでいうところの「システム1」=直感をいかに鋭利な存在となせるか。直感を日々磨くこと。自分が心底従順になれるような直感に昇華できるかどうか。

イメージクリエイティブにおいては、まさに最重要な要素であり課題であると思う。

 

9月(4冊)

28.消費の神話と構造((ジャン・ボードリヤール)

「消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない」(本書P80から引用)

2019年ベスト1。

消費とイメージ」という関係性についてより深く考えるきっかけとなった一冊。ビジュアルイメージといっても「使われ方」という点で言えば様々な切り口がある。中でもストックフォトというのはイメージそのものが「売れる」現象が存在してるとしても、実はそれは消費者に直接的に消費されている類のものではないと考えた方が良さそうだ。むしろ個人的には「消費する主体」と「被消費対象」とをつなぐ役割のひとつであると考えている。ということはイメージそのものの探求もさることながら現代の消費行動を生んでいる土台となる「システム」の探求もまた必須。さて、「ある種のコード」とは一体何なのだろうか。何度も読み返さなくては。そして、彼は写真家でもあるというところに遠くて近い感覚を抱いてしまう。

29.素粒子(ミシェル・ウェルベック)

2019年はなぜかわかりませんが、ウェルベックの再読イヤーだった。

本書は再読してこそ意味するものの面白さ、特にプロローグの、がじわじわくる小説だ。

異父兄(弟(ミシェル・ジェルジンスキ)のまるっきり異なる生きたか・考え方が軸に物語が進んでいくが、その行き着くところの世界への貢献という意味でいえば僕らが生きていること自体が大小の差異はあれ、(振り返ってみれば)その時代の世界観の醸成に貢献している。

ジェルジンスキの生きた時代、人々は哲学をいかなる実際上の重要性もなければ、対象も持たない代物だと考えるのが常だった。だが、現実には、ある時期に社会の成員たちによってもっとも広く受け入れられている世界観こそが、その社会の政治、経済、慣習を決定するのである (プロローグより引用)

ウェルベックボードリヤールはどこか思想的共感のオーバラップを感じる。フランス人、ということに何か意味があるのかな。

30.プラットフォーム(ミシェル・ウェルベック)

割と知的な2人が「儲ける」という点で「買春ツアー」ビジネスを展開するが、、、

相変わらずディテールすぎる性的表現のオンパレードであるのだけれど、であればあるほど読後の喪失感が深い。書かれたのが2001年。今だったら、まさに文字通りこの観光サービスはオンラインのプラットフォームとして立ち上がる設定になっただろうな。

31.論語(貝塚茂樹)

もう何年も本棚の奥にあった一冊。お風呂のお供に手に取ってみた。

「氏曰く、位なきを患えず、立つところ所以を患う。己を知る莫きを患えず、知らるべき爲すを求むるなり」(P83-84から引用)

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孔子がいわれました。「地位が得られないことを気にかけるな。それにふさわしい実力をたくわえることに努力せよ。人に知られないのを気にするな。人に知られるに値することにつとめよ。」と。

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まさにSNS時代こそ念頭に入れておく言葉かも。

 

10月(2冊)

32.孤独な群衆(デイヴィッド・リースマン)

先のボードリヤールの「消費の神話と構造」にて幾度どなく引用されていたので手にとってみた。なかなかの長丁場だった。

社会の人々を"社会的性格"として「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」の大きく3タイプに分類した。中でも、

他人指向型に共通するのは、個人の方向づけを決定するのが同時代人であるということだ。この同時代人は、かれの直接の知り合いであることもあろうし、また友人やマス・メディアを通じて間接的に知っている人物でもかまわない。・・・・・他人指向性の人間が目指す目標は、同時代人のみちびくままに変わる。かれの生涯を通じてかわらないのは、こうした努力のプロセスそのものと、他者からの信号に絶えず細心の注意を払うというプロセスである。(P17より引用)

なんと現代的であろうか。本書が書かれたのが1960年代であったことを考えると、先見の明であったし、その後更にその傾向が進んだといえ、近年ではSNSの発達に伴ってむしろ「加速」していると捉えられる。これはひとつの消費のシステムのベースとして考慮しておく必要がある。何はともあれ、僕自身、このブログを書いている時点で完璧な「他人指向型」であったりもする。

ともかく本書は長い、長いのがけど付箋箇所だけでも再読しておこう。

33.服従(ミシェル・ウェルベック)

再読イヤー。

パリの衝撃的なテロ事件との関連でもてはやされることの多い本書だけど、改めて読むと「現代社会がもっとも広く受け入れている世界観」の可逆性についてのあり得る可能性的リアルさを感じさせる内容。小説なのに付箋をつける箇所の多い作家。

 

11月(2冊)

34.シミュラークルとシミュレーション(ジャン・ボードリヤール)

嵌っている。

後で知ったことだけれど、本書はあの映画「マトリックス」に多大な影響を与えたそうな。

ところで「シミュラークル」。この言葉自体全く馴染みのない僕は最初何が何だかわからないままに読み進めていた。まぁ検索すればそれなりに意味は出てくるのだけれども、シミュラークルの先行、というのは「模造」の先行???一体何?

しかしこれはある意味正しい。現実の二次的要素だった「模造」「コピー」がいつの間にか現実を先行してしまうのだ。そのプロセスがシミュレーションなのである。あの、おとぎ話の模造であったはずのディズニーランドがもはやいまや我々にとってはオリジナル(実際の海賊やお姫様)以上に現実であるのだと。深い考え方である。まだ20%くらいの理解か。もう三、四度と読み返してみよう。

35.象徴交換と死(ジャン・ボードリヤール)

彼は、もはやマイヒーローになりつつあるのだけど、本書は本当に難解だった。というより前提知識が全く足りない。ソシュールラカンマルクス、モース・・・・引用ごとに引っかかる。が、なぜか惹かれるのだ。

一点、ソシュールアナグラム論というものを知るきっかけとなったのは前進。言語学記号論、この辺りはイメージクリエイティブ、特に大量のイメージが生まれてくるストックフォトイメージの新たな展開構想に繋がるものを感じている。

 

12月(4冊)

36.芸術の陰謀(ジャン・ボードリヤール)

何ということであろうか。ボードリヤールは芸術の世界でも多大な存在感を放っている。あの、ジェフ・クーンズはボードリヤールの「シミュレーション」的考え方に影響を受けている!ただ、本書を読むと彼らのアプローチが若干色褪せて見えてくるのだが、それは影響されやすい僕の浅はかさ、というものだろう。

もちろん再読する中でもっと理解しなければならない本書であるが、一点、マルセール・デュシャンという芸術家の存在は、実はストックフォト分野との大きな接点があるように思った。というのも彼の一連の「レディメイド」というアプローチ。まさにこれはレディメイドであるストックフォトのあり方とどこかに一筋通ずるのではないだろうか。そのまま当てはめるというよりは、レディメイドに幻想はいらないのかも、ともいえるが、そうでないともいえないという矛盾する交差点がどこかに。。。。

37.完全犯罪(ジャン・ボードリヤール)

 ボードリヤール師匠!

これは、ひとつの犯罪の物語であるー現実の殺戮という犯罪。それと同時に、幻想(世界という、もっとも重要で根源的な幻想)の根絶という犯罪。現実的なものが幻想中に消滅したのではない。幻想のほうが、全面的な現実のうちに消滅したのだ。(P5冒頭より引用

この時点の僕の理解としては、単にかつての現実が失われているだけではなく、幻想を伴う現実の消滅、ということか。

全てをわかりやすさの中にリアルタイムに埋没させることで、かつて現実に含まれていた意味自体が消滅してしまった。意味が含まれていたかつての現実は今では現実とはいわない。いまの現実とは「ありのまま」であるという単純明快さだ。しかし、かつて存在した意味の喪失は人工的な意味に生産繋がっていく。VR,ARなどが最たるもの。現実が拡張されていく。ボルヘスのおとぎ話で地図が領土を先行したように仮想現実が現実を先行するシミュラークルの成立か。そのこと自体がシステムの確信犯だといえるのだろうか。現実に意味を再獲得させる必要性はどの程度残されているのだろうか。

38.人間以前(フィリップ・K・ディック)

改めて、面白い!!最高!

完全にボードリヤールの影響下に置かれている。今の僕にはもっと幻想が必要だ。幻想・夢想・空想・非現実・現在過去未来・パラレル・・・・そういったものを硬くなったこの頭や心に取り込んで、リアルなイメージクリエイティブと融合し市場にフィードバックする。自分でも一体何をいっているのか意味がわからないが、それがSF。ディックには読んでない作品も多いので、2020年に向けて読破したい作家。小説はしばらくミステリー主体だってけれどもSF突っ込んでいきたい。

39.イリアス(上)(ホメロス)

叙事詩!といわれていて何遍も挫折(上の20ページくらいで)していたが、習慣の半身浴用として読み出したら意外にに嵌った。以前は登場人物の似たような名前が大量に出てきて誰が誰だかこんがらがってしまっていたからなのだけど、そういう読み方でなくて、この時代(紀元前8−6世紀ですよ!)にも関わらずの比喩の凄さや、万能ゼウスといえども万能ではない人間らしさや、 何をおいても「神がかる」ということの正体や、供儀の重要さや、敵へのリスペクトや・・・・お風呂で下に続いてます。

40.高い城の男(フィリップ・K・ディック)

いやー、すごい発想。第二次世界大戦戦勝国が日本とドイツであると仮定して、北米を両国が分割統治するという十分あり得た可能性のある意味の伴った仮想過去現実な設定。ディテールでは日本人が物事の判断を易経に頼ったりと、「現代の日本人」から見れば若干違和感のある部分もあるのだけど、まぁそこも含めて仮想過去現実であり十分仮定の世界に浸らせてくれる。SF的アプローチは未来ではなく過去現実にも適用できる。

最後に、この本でグッときたセリフを紹介しておこう。

「まぁ聞けよ、俺はインテリじゃないーーーファシズムはインテリには用はないんだ。必要なのは行動だけだ。理論は行動の後から生まれる・・・・」(P262から引用)

ファシズム礼賛ではないですよ。 そして中途半端な本の読みすぎにはくれぐれも注意、ということで。

2020年もどんな本と出会えるのか、本当に楽しみ!!!

2019年に読んだ本(上半期)

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読書自体がわりと習慣化されている我が家。

一年間で何冊本を読むかと年初に目標を立て、読み終えたらカレンダーに書き込むということを昨年から始めた。

というわけで、ジャジャーン、2019年の結果発表!

父:40冊/50冊  達成率80%(駆け込みで今日40冊目到達!)

*娘と妻の結果公開は許可未取得

残念ながら、家族全員目標未達成。それにしても、わが娘、目標が300冊....結果もそれなりで冊数ではダントツ。来年の目標はおそらく多少現実的なラインに置いてくることだろう。母も結果には満足していないみたい。母は日々忙しいのだ!!

一方出張の多い父は機内やホテルなど1人になる時間が多かったという環境がプラスに。が、この高めの達成率は弱気な目標設定によるものだ。例年50冊を目標にしていたので。

一応、自分で読んだ本を振り返っておく。

まずは、上半期分

1月(5冊)

1.ジュリアス・シーザー(シェイクスピア)

「ブルータス、お前もか」

そういえば、今年は年初に「シェイクスピア」を多く読んでみよう!と言ってたっけ。。。結果、このジュリアスシーザーのみだった。。戯曲そのものがなかなか入って来ない。

2.殺人鬼フジコの衝動(真梨幸子)

人は育ちがここまで影響するものなのか。それとも生まれつき何かが備わっているものなのか。殺人を殺人と捉えられなくなる何か感覚が麻痺するかなり衝撃なストーリー。続編とともにミステリーいやスリラー好きにはおすすめ。(怖いよ)

スリラーやミステリーを読んで体験する「え!」という感覚は、思考の偏りをほぐしてくれる。

3.資本主義と自由(ミルトンフリードマン)

これでもか、というくらいの徹底した自由主義者ミルトン・フリードマンリバタリアンのバイブル的な書。自由であることを実感できる機会が少ない今だからこそ、「自由の追及」から見えてくるものがある。

4.インタビュー・イン・セル(真梨幸子)

えぐい、えぐい、えぐい!!

殺人鬼フジコの衝動の続編的な。内面をえぐられる衝撃が襲ってくる。真梨幸子という作家をもう少し掘り下げてみたい。(怖いよ)

5.ワインズバーグ、オハイオ(シャーウッド・アンダーソン)

ずっと本棚に眠っていた一冊。

架空の街「ワインズバーグ」。時代に取り残された過疎の地域に住む人々の関わり合いを描き出す。物語は淡々と進むのだけど、ページを捲る手を止めてその場の情景を脳内でイメージ化したくなる、そんな作品。

2月(2冊)

6.不倫と南米(吉本ばなな)

人生初ばなな。

初なのに、なぜにこの一冊であったかは記憶にございません。スナップ写真に釣られたかな。「キッチン」も買ったのだけどまだ読めてない・・・・

7.映像の修辞学(ロラン・バルト

記号論的写真論。ストックフォトというイメージクリエイティブ分野に携わる自分的には多くの刺激と学びのあった一冊。別の機会に掘り下げる

3月(4冊)

8.資本論1(マルクス)

ここ数年、資本主義とは何かと気になっていて、関連本を片っ端から読んできたのだけど、様々な著書で引用・言及されるマルクス資本論

ともかく長年挫折に挫折を繰り返していた本書。(1)では商品・生産の視点から市場の仕組みを読み解いていくのだが・・・価値形態(交換価値)のところは、後にボードリヤールを読むようになって再度読み返してみた。なるほどなと。

ただ、時間のことを考えれば全体的な解説本的なものが沢山出ているのでそれで十分かも知れない。今回やっと(1)を読みきっただけでも良しとしておこう。

9.小さなチーム・大きな仕事(ジェイソン・フリード)

(再読)いわゆるビジネス本を最近はあまり読まなくなったのだけど、現状の海外事業における業務に関連して再読した。

世界市場を見据えたイメージクリエイティブビジネスという分野では、縦割りの大きな組織ではなく(組織規模が大きくなるとどうしても縦ラインが必要になる)各国に少数のメンバーが分散されていつつ管理面が緩やかに統合されているいわば「十字型組織形態」(内田命名)が一つのあり方ではないかと常々考えている。こちらも別の機会に掘り下げる。

10.ジゴロとジゴレット(サマセット・モーム)

モーム、短編もいい。というかこの8編いずれもいい!

彼の小説は人物の心象を脳内でイメージ化する訓練に本当に役立つ。

11.パルプ(チャールズ・ブコウスキー)

年に一回は触れてギャフンと言わされたくなるブコウスキー

主人公の探偵ニック・ビレーンがなんとなく何者かであるのを感じされるために、何者でもない奴がメインの数々の短編に比べれば若干モラルが滲んでるかも。

ブコウスキーを読んでいると、「お前の人生嘘っぱちだろう」とウィスキーのグラス越しに睨みつけられている気になるのだけど、そういうのを一つ一つ撥ね付けて成長していくしかないのだろうな。また昔の短編読み返しながら修行しよう。

4月(6冊)4月は沢山読んだなぁ。

12.繁栄(マット・リドレー)

(人類の並外れた変化は)ひとつの脳の中で発生したものではない。複数の脳の間で発生した、集団的現象なのだ。(プロローグより引用)

かなり刺激を受けた一冊。

世の中常として人類の未来はディストピア、いわゆる悲観論が常に優勢なようにみえるが、本書はかなりの楽観論的展開である。もちろん根拠も明示している。

人類の「分業」と「交換」で発展してきた歴史を追いつつ、結論としてはそれによって「創造的時間」が生まれたことが加速的発展の要因であると。

これからはその時間から生まれる「イデアの交換=共有」がキーポイントになるという。以前読んだクリスアンダーソンの「MAKERS」で強烈の覚えている「アイデアはシェアされると拡散する」という言葉を思い出す。これが今携わっているビジネス(PIXTA)でも活かされている。ただ、時代はインターネットの発達によって「共有」「拡散」はすでに何周もしている感はある。その先にある方向を構想していきたい。

13.彼女がその名を知らない鳥たち(沼田まほかる)

数年前?「ユリゴコロ」ではまった沼田まほかる

好きになることって理性じゃない。なんでそんな奴を好きになるのか、なんて他人にはわかり得ない。だけど「罪」が絡んでくるとむしろ・・・・爽やかな読書体験ではないことは保証できる。

14.リバース(湊かなえ)

まぁそんな感じで。

15.レキシントンの幽霊(村上春樹)

孤独な寓話的短編集、とでもいいましょうか。特に氷男の話、切ない。

たまに読みたくなる村上春樹。「羊をめぐる冒険」と「世界の終わりとハードボイルド」が僕の中での代表作。読み返してみようかな。そんな時間あるかな、、、

16.ガラスの街(ポールオースター)

ムーンパレスでやられたポールオースターの長編第1作目ということで。

極度に淡々。そう、それがタイトルに現れている。全ては無色透明なのだ。見えすぎるというよりは存在感の希薄さ、という点で。

彼は結局、偶然以外何ひとつリアルなものはないのだ、と結論を下すことになる。だがそれはずっと先のことだ。はじめには単に出来事があり、その帰結があった、それだけだ・・・(P5引用)

17.ロートレック荘事件(筒井康隆)

クラシカルな推理小説

推理小説のランキングでは色々なところで上位に食い込んでいるのでずっと気になっていた。期待感が高すぎたのかも知れない。自分は一体何を期待していたのか、というのはあるのだけれど。

5月(4冊)

18.レトリック感覚(佐藤信夫)

昨今、限りなく無色透明の最短距離でのわかりやすさが蔓延している感のあるイメージクリエイティブ界隈。僕はもう少しじっくりと時間をかけて味わうというか、しばらく経ってから「あ、そうか」という感覚が押し寄せてくる違いイメージの必要性を最前線で働いていて感じている次第。それには、幻想・神話・暗示・隠喩-換喩といったレトリック的な観点の適用可能性を模索しているのであったりする、などなど。佐藤信夫さんのレトリックに関する一連著書は読破するつもり。

19. 神話の力(ジョーゼフ・キャンベル)

人間がほんとうに求めているのは、<いま生きているという経験>だと思います。純粋に物理的な次元における生活体験が、自己の最も内面的な存在ないし実体に共鳴をもたらすことによって、生きている無常の喜びを実感する (第1章 神話と現代の世界 冒頭より引用)

あの「千の顔を持つ英雄」の著者とのインタビュー形式。

これは、なんというか圧倒的すぎてかつイメージクリエイティブにも多大な一撃を与えうる内容で、再読決定。感想は2020年に委ねるとする。

20.猫のつもりが虎(丸谷才一)

小説は読んだことあったのだけど、こちらはエッセイ。

普段から、他人の考えの引用に懸命になるのでなく、自分の頭で考えることに素直になるとこういう観点で文章を書くとこうなるという例。なので、エッセイを書く、ということの本当の楽しさを感じさせてくれもする。

21.最後の喫煙者(筒井康隆)

独自の暴走的目線から爆書きしたと感じさせる氏の短編集。これくらい自分を解き放ち完全なる自由思想じゃなきゃ小説なんて書けないだろう。いや、書いてはいけないのかも知れない。

というか、昭和60年代の日本は既にそんなに禁煙ブームだっけ?

国会議事堂の頂きに座り込み、周囲をとびまわる自衛隊ヘリからの催涙弾攻撃に悩まされながら、俺はここを先途と最後のタバコを喫いまくる(最後の喫煙者 冒頭より引用)

6月(0冊)

0冊!!!

振り返ってみれば、6月は仕事が忙しかったというか、年初の仮説に対し実行フェーズでの差異が徐々に顕在化し、下期への変化変更の必要性が増した時期。だいぶストレスが溜まっていたのは正直なところ。

僕の場合はストレス負荷と読書量が反比例するのだね。多分酒量は比例関係にあったと思う。

 

2019年の上期は、前年の反動からか小説系が多かった印象。

それにしても古典といわれるものや、適度に古めの名作がそれこそ無数に存在しているなか、「新刊もの」に手を出す暇というか余裕が持てません。下期分は絶賛おまとめ中。

それではまた!

 

 

 

自分が読みたいものを書くこと

2019年の12月もはや半ば。

根本的に、一年をしっかり振り返るタイプの人間ではありませんが、なんとなくそうしなければならない雰囲気に流されて毎年それっぽいことをやってはいます。まぁかなり中途半端ですが。

そんなこんなで、今年は年々衰えてきている脳力の補完にと、自分の思考をまとめるための物理的ノートを使い始めていて、それに書き込みながらあれこれと考えています。

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僕の場合、だいたい軸になっているのは、

  1. 家族
  2. 自分
  3. 仕事
  4. 社会 

の4つの側面です。1及び2については、基本的には自分に正直にそして心底ぶちゃけなければ意味がないと思っているので、あくまでも自分の内面的な作業として完結させてます。

まぁかろうじて4については、それなりに書くこともあるのでしょうけども、今年はあまり世間というものに強い関心を持っていなかったかもなという感覚が強いです。

 

唯一3の「仕事」については、本音と建前の間であれこれと悩んでいる部分も含めて、表に出してみることで、内容によっては自分でも読みたくなるようなコンテンツをアウトプットしていけるかなと考えたりもします。(そういえば、前々回の投稿でも触れていました)

 

そう、実は今日書きたかったのは「一年の振り返り」の事ではなくて、自分がブログを書くにあたっての姿勢についてなのです。「自分で読みたいかどうか」という視点がこれまで完全に抜けていました。

文章を書きたいという謎の意欲がとても強いものの、ずっと「書きたいことを書く」、というスタンスでした。そのうち自分で書いたものも全然しっくりこなくて、書けば書くほどなんだか自分がつまらない人間になってゆくようで、過去の投稿を消したり、ブログを引っ越したりとあれこれしているうちに、いつの間にか書くこと自体を辞めてしまっていました。

独りよがりで空回り以外のなにものでもありません。

 

しかしある時、田中 泰延さんのtwitterで「読みたいことを、書けばいい」という一文に触れ、まさに「目から鱗」であり「耳に痛し」でした。

まず自分が読みたいものが人様にも「読んでもらえるもの」へ繋がってゆく第一歩なのだな、と。考えてみればビジネスをしていく上での基本の"き"でもあります。

ご著書をまだ読めていないのですが、読まねばです。

 

というわけで、仕事ではイメージの世界、特に「ストックフォト」というコンテンツクリエイティブの分野に携わっていますので、やはりそういう側面で自分は何をどう考えているかということを表に出してゆくことで、自分なりに蓄積してきた世界感の言語化に繋がっていけないだろうか、それだったらその右往左往のプロセスも含めて自分も読んでみたいな、と思えるようになってきました。

 

ここまで来るのに時間もかかりましたし、もしかしたら時すでに遅しかもしれませんが、改めて、少しづつでも綴っていけたらなと考えています。

 

ゴールの見えないテーマなのでどうなるか全く不透明ではありますが。